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初版2009/09/01: 最終更新日2009/09/01
6-1.  開発に至った経緯
目次
開発者Philip Zimmermann
バックボーン
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開発者Philip Zimmermann
PGP開発者であるPhilip Zimmermannは、1954年にニュージャージー州のカムデンという産業地区で生まれ、1991年にPGPを公開しました。
公開当時の年齢は37歳。
世の中に新しいものを発信する年代としては、けして珍しくはありません。ですが、ただの一般的な37歳が興味本位でプログラム開発に触れ、PGPを公開したのではありません。

当カテゴリでは、Philip Zimmermannの人生を追いながら、その変わった経歴からPGPのことをより深く知ってもらえればと考えております。

バックボーン
PGPを開発し公開に至った初期の頃、Philip Zimmermannは暗号化のスペシャリストではありませんでした。
彼が暗号化ソフトウェアの製作に踏み切ったのは、熱心な反核活動家だったことが理由です。

我々日本人の感性からすると、核兵器の使用・製造に反対するという活動はいたって普通の、むしろ奨励されてしかるべき行為だと思えることでしょう。ですが、所変われば事情も変わるもので、アメリカでのそのような活動を派手におこなうことは、反政府的な意味をもっていました。
そして、その活動は時によっては逮捕や実刑を引き起こすことにもなります。事実、Philip Zimmermannは3回ほど当局に身柄を確保されています。

開発へ
反核活動というのは、多岐にわたります。
核兵器の危険さを多くの人々に伝えるため講演をしたり、撤廃のため権利者に直談判したり、時には署名を募ったり、デモをおこなったり…、大雑把な説明ではありますが、そのようなさまざまなことをおこない、人の心に訴えかけようとします。
全てが犯罪ではありませんが、暴力沙汰を起こしていなくても中には違法として扱われる行為もあり、それは「準備」という事前情報であってもまた同じで、秘匿しておく必要があります。

PGPを開発するきっかけとなったのも、まさのその情報を守るためでした。ある時、当局が反核活動のメンバーリストを強引に奪っていったのです。
それによって起こった出来事は、想像に難くはありません。少なくとも、Philip Zimmermann本人や反核活動家の視点からみて大きな損害があったことは間違いないでしょう。

Philip Zimmermannは立ち上がります。
いかに情報を奪われても、情報を読めないようにすれば問題はなかったのです。ならば、読めないように暗号化をしようと。
国の目を欺くために、Philip ZimmermannはPGPの開発に着手しました。