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初版2009/09/01: 最終更新日2009/09/01
6-2.  公開時の反応
目次
公開時の反応
PGP 2.X
公開時の反応
PGPがインターネット上の掲示板に公開されると、本人の予想を遥かに越えたスピードでPGPは広がっていきました。
無料で公開されていたこともあります。しかし、それ以上に当時のコンピュータに熱心なギーク達が嗅ぎつけたのは、PGPの公開鍵方式という技術が目新しく、そしてデジタル時代の情報セキュリティを保つことのできる道具としての有能さがPGPそれ自体にあったからでしょう。

そして、瞬く間にPGPは世界へと広がり、さらなる進化を見せたのです。

PGP 2.X
PGPの初期バージョンといわれるものは、一般にPGP 2.Xであるとされています。これは、本来の初期バージョンである1.0に重大なバグがあったためです。

PGP 2.X以前と違い、PGP 1.0ではPhilip Zimmermann自身が開発したBass-O-Magicという暗号化方式を採用していました。これは一見データをうまくかき混ぜているように見えて、その実、技術のある人間からすればまったく暗号化の役割を果たしていないという、あえて言うなら「ひどい」代物でした。
それを察知したヨーロッパの暗号化のスペシャリストが知識を持ち寄り、開発したのがPGP 2.Xです。

この進化はPhilip Zimmermannを感心させ、以降の活動にも大きな影響を与えることになります。インタビューでも、日本語で言うところの「餅は餅屋」といった専門家を敬う発言を多く発しています。(後に彼自身も専門家としての知識や技術を蓄えていくのですが)

しかし、この頃でしょうか。
PGPは暗号化ソフトウェアとしての高い能力と、確固たる地位を得ようとしたまさにそのとき、危険な「兵器」があるとして、アメリカ合衆国はPGPに目をつけたのです。