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初版2009/09/01: 最終更新日2009/09/01
6-3.  国との戦い
目次
経緯
静かな闘争
勝利への道
経緯
Phill Zimmermanと国との戦いは、実に5年もの歳月を経ておこなわれました。
当時の多くの国では、高度な暗号化技術は「兵器」であるとし、国外への輸出を堅く禁じていました。アメリカ合衆国もその限りではなく(国際武器流通規定:ITAR)、PGPは高度であるがゆえに当局から警戒されていたのです。

初期のPGPは、インターネット上の掲示板やウェブサイトいったデータが広まりやすい形をとり、公開されていました。
その結果、海外の技術者の協力もあってPGP 2.Xという絶大な進化を遂げることとなったのですが、Philip Zimmermannは進化を遂げたその瞬間から「高度な暗号化ソフトウェアを海外に流出させた者」として調査を受けることになりました。

静かな闘争
Philip Zimmermannは調査にかけられているあいだ、PGPに触れないことを決意しました。こうすることで、政府から裁判を起こされるきっかけを少しでも減らそうと考えたのです。
ただ、そのことは調査関係者をやきもきとさせたようで、調査機関中にPGPを再公開していないかと執拗に尋問されたと後のインタビューで語っています。
また情報元は不確かですが、同期間中は見覚えのない女性が四六時中こそこそついて回ったり、帰宅すると部屋の中が荒れていたりといった危うげな情報も目にします。

たしかに当時の事実として、たびたびPGPはインターネット上に再公開されていたようです。
しかし、これはPGPの熱狂的なファンが勝手におこなったことであり、Philip Zimmermannは関係ないとのことです。PGPの支持数や熱というのは半端ではなく、その規模は、裁判が起こった場合に備えての弁護士費用がインターネット上で集められるほどでした。
多くの人が通り過ぎていくだけのインターネットという世界で、これは異質なことです

勝利への道
政府は手を引くこともなく、裁判を起こすための材料も集められず困っていました。そして、思うように作業が出来ずに困っているのはPhilip Zimmermannも同じことでした。
この頃の彼は、多くの人にPGPを使ってもらい、暗号化技術を世界で共有したいという意思をもっていました。しかし、政府に目をつけられている現状では、そんなに軽々と「兵器」を海外に流すわけにはいきません。

Philip Zimmermannは考えました。そして行き着いた答えはなんともシンプルで、確実なものでした。
彼がおこなった行為。それは出版です。
本に書かれているのは、自分はこれこれこういう理由で正しいんだという訴えや政府への恨み言ではなく、PGPのソースコードです。当時のアメリカ合衆国には、言論の自由の立場から、出版物の輸出を取り締まる法律がなかったのです。
そして当局が手を出せぬまま、PGP技術は合法的に世界に広まっていきます。広まったソースコードはPGPiという国際版PGPを生み出し、留まることを知りません。

この出版や、そもそもPGPの問題がきっかけとなったのかはわかりません。ですが、そう遠くないうちに輸出に関する法律が変わり、1996年には、アメリカにとって不都合な国以外にはPGPを自由に輸出してもよいと決定が下されました。
PGP 2.Xが生まれ、当局に目をつけられてからおよそ5年。PGPは、ようやく世界に飛び立つことができたのです。
一国から、勝利をもぎ取ったのです。